ロースクールでのとある授業のひとこまです。教授に質問された学生が「それは、状況次第です。(Depends . . .)」と答えました。教授は、イエスともノーとも結論を出せなかった学生に対して、「どんな質問にも使える最高の答えだね。それでは、どのような状況のときは、どうなのか説明したまえ。」と突上げました。その学生ははっきりした答えが出せず言葉につまり、その場しのぎで思わずそう答えたのです。しかし、実際の交渉を考えてみると、真理をついたなかなか奥深い答えかもしれません。
さて、どのような業界であっても、スターとは煌びやかで、いるだけでその場の雰囲気が盛り上がるものです。アメリカで生活していると、意外なときに意外なところで、隣に名の知れた大スターがいたりもしますが、通常自然に触れ合う機会はめったにありません。
では、スターの存在とは契約を結ぶ上で、どのような影響を及ぼすのでしょうか。映画でもスポーツでも、大スターと契約する際には、その一人のためだけに契約の交渉が壁にぶつかったり、プロジェクト自体が振り出しに戻ったりもします。しかしその大スターの参加によって、何億、何十億もの興行収入の上乗せが期待できます。したがって、契約条件一つで収入の分配が大きく左右される状況が、交渉をヒートアップさせ、自然に契約書の頁数の増加に反映されたりもします。
最近大リーグでの日本人選手の活躍が目立ってますが、そういった情報に関心のある方はニュースの中に、何かとビジネス的な要素が入っていることにお気づきかもしれません。例えば、一般に関心の高い個人成績(勝利数、セーブ数、打率、本塁打、打点等)のほかにトレードを拒否できる権利、年間の打席数によるボーナス、登板試合数によるボーナス等の規定もあり、シーズン後半になって優勝の見込みを失ったチームは、ボーナス等の支出を避けるため、次のシーズンを念頭において若手の起用を検討し、高額な年棒の選手をトレードに出したり、3Aに落としたり、解雇したりとビジネス上の思い切った判断を下すこともあるようです。(もちろん、契約条件だけがこれらの判断基準でなく、個人の成績が大きく影響することはいうまでもありません。)これらの条件は選手毎に異なり、特にスター選手ともなると、契約時にお互いの合意を契約上で厳しく確認し合います。
ところが、映画にしろスポーツにしろ、蓋を開けるまで何が起こるかわからない部分が多くありますので、契約書で全てを網羅できるような条項の書き込みが必要になってしまいます。現実にはあらゆるケースをすべて予測することは難しく、それまでの経験に基づき、最大の努力をすることをもって納得するしかないのです。その結果、契約書の内容は出来るだけどのような場合にも対応できるよう、現実的な範囲で可能な限りのケースが列挙され、それに応じた規定が決められるので、とにかく長くなってしまいます。但しどんなに頑張っても、全てを網羅することなど到底出来ません。数え切れない程の交渉が終わりに近づき、やっと契約かという場面にもなると、交渉担当者達の頭にはもし今誰かが一言質問したり、意見を言うとまた一から交渉のやり直しになる、という最悪の状況が浮かんで両者ともに険悪な雰囲気となり、「それはもう大丈夫でしょう。」という何の根拠もない暗黙の合意が、立場を問わず全ての参加者の間で形成され、契約交渉終了を目的とする運命共同体的な一種の連帯感が生まれる、という笑うに笑えない話もあります。
日本人には、相手をよく知り信頼関係に基づいて契約を行う、という精神が取引の根底に流れており、欧米式の徹底的に議論して契約を行うスタイルにはついていけない部分も多々あるかと思います。例えば日本の契約書には、「問題が発生した際には、両者誠心誠意協議する。」等の文言が見られますが、欧米の契約書にはそのような規定は出てきません。それどころか、「本契約書より前に、又は同時に交わされた合意は、本契約書に記されていない限り、一切有効と認められない。」などといった規定さえ入っています。これは国民性の違いに起因する契約書スタイルとでも言えるかもしれません。
「どっちのスタイルがいいのか?」という質問が聞こえてきそうですが、それは、あの教授にでも訊いてみましょうか。
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